テーマ : 犬との生活において「マナーとは何か」を考える(自論) 

最近、犬の管理・散歩時などに、飼い主のマナーが問われることが多々ある。
放置糞問題、排尿、マーキング、公園利用方法など日常話題が様々。
そこで、”犬との生活において「マナーとは何か」”を考えてみる。


法治国家「日本」において、拘束力が強い順に記すと
 憲法各種法律(動物保護法など)条例(都道府県で制定)
   ルール(施設利用基準など)マナー(○○すべきではない)

条例までは、拘束力、罰則がある。適所において議論された後制定、公布、施行されるもの。
 → 「法に関して思うこと・・・」 参照
ルールは何時でも、誰にでも制定できる。ある意味「作った者勝ち」。拘束力・罰則はない。
マナーは基準が曖昧。拘束力・罰則なし。

俗に言う「マナー」とは公衆マナー(対象が一般世間?)の意だと思いますので、
日本語で言い換えれば ”公衆での立ち振る舞い”に関してのこと、すなわち
「社会習慣・一般慣習」と言ったところです。

つまり、俗に言う「マナー(公衆マナー)」とは、より多くの人間が共感する事が条件・・・
民主主義(多数決)の原理が優先される傾向になるものです。
また、世の中の仕組み、文明の変化、環境の変化に人々は気持ちに変化を生じさせますので
時代・環境と共に自然に変化する事だとも言えます。

例えば「電車内の携帯電話使用について」
以前は車内使用全面的にマナーに反するとされていましたが、今は車内メール使用は当たり前・・・
私が考えるに、そのようなマナー基準は意味が無いと思うのです。
近年の車内メールは迷惑(邪魔&よそ見危険)を多く感じます。
逆に通話でも、心掛けて使用してもらえばいっこうに迷惑と感じません。
(私は通知着信が3回連続で来た場合は車内でも通話します・・・受話中心にですが・・・その為の
携帯ですから!・・・逆にメールを1分以上、車内では打つことはありません)
つまり、携帯使用の方法そのものではなく、周りに気を配るか(迷惑かけないようにするか)が、
ここで言うマナー基準の本質とすべきなのです。

例えば「喫煙に関して」なども近年話題ですね・・・(私は非喫煙者ですが)
健康の問題は、伏流煙に気を配れば、本人のみの問題ですし、税金を吸っているとも
言える方々には、さぞかし過しにくい世の中になってきたことでしょう。
しかし、あまりにも街中に吸殻が目に付きます。
迷惑防止条例に基づき、ポイ捨てや、歩きタバコに反則金を科す(ルール化する)自治体も出てきました。
タバコのポイ捨ては、火の不始末・ゴミの不法投棄として確かに迷惑範囲を超えています。 

マナーやルールの、基準の本質を考える際、価値観がそれぞれ違う人間が、時には利害を考慮して、
一方的(勝手)に解釈したり、設定するものですから、所詮議論すれば「嗜好」や「感情」で
平行線を辿る事もあります。

犬に関して「(公衆)マナー」の議論になった場合、つまるところ・・・
「犬好きか、そうでないか」 「動物としての犬をどの様に理解し、付き合いたいか」
・・・等の感情・嗜好 の話となります。

すなわち重要なのは、マナーの基準によっては、物事の真の善悪を決して問うものではありません。

まして、拘束力・罰則がある「条例」以上のレベルは、決してそのような基準で策定されてはなりません。
もしも、そのような、偏見や権力に乗じて制定されたなら、即刻改正すべきでしょう。

マナーに対してモラルと言う言葉がありますが、 
モラルは、ある意味普遍的な人間の共通倫理だと思うのです。
それは「命の尊厳」や「自然の摂理」、「道徳的」「真の善悪」なことです。 
モラルは、人間として意識し持ち続けたいものです。 

さて犬社会もモラルとマナーはあると思いますが、人間社会のそれとは格差があるのでしょう。
ただ現実世間は、人間中心社会ですから、所詮人間の都合にあわせる(飼い主が合わせさせる)
しかないと思うのです。

さらに、今日の少子化時代(登録ペット数入学前の子供総数)では、
犬と人間の共存スタイルを見直し、マナーの基準を考え直す時期であると思うのです。