共生・共存活動 B 

 事例5 >

先日掲げられた2箇所の看板、かなり目立っている為、公園内を散歩する人
(犬連れ無し関係なく老若男女)注意を引く効果は出ています。
安易にノーリードをしていた人は、控えめに・・・
しかし、本当に問題があった飼い主(ノーリード・リードに関係なく)には全く、効果が期待される
どころか、益々人間関係トラブル助長になりかねない感が拭えない。

いつものように、ノーリードで過していたら、小学生グループに声をかけられた。
数人の犬好きが、ふれあいを求めてきたのだが、うち一人の男の子がいかにもチヨット苦手そう。
けっして怖がってはいないが、接し方が判らず恐る恐る・・・
それでも同級生の手前、頑張ろうとしている感じが伝わってくる。
そんな時、一人の子に こんな言葉を投げかけられた!
「おじさん、犬がつながなくてもいいの・・・? 看板に書いてあるよネ?!」

やはりきましたか・・・この話題!!
相手がある程度、理解力・常識をもった子供だけに受け答えに気を使う・・・

「つながなくてもいいの?」には大きく2つのポイントがある。

ひとつは、危険かどうかと言う点。
これは、ある意味飼い主の判断を信頼するしかない事だが・・・
「大丈夫だよ!君がいじめたり、悪いことをしなければネ・・・」と答える。

もうひとつは、良いことか悪いことかと言う疑問に対する答え
「君もきちんと考えてみようね!・・・・」と、あえて自発的に考えさせてみる。
犬そのものが、つながないといけない事と信じ込まないように・・・
そして、「つなぎましょう」と、書かなくてはならない本当の理由を・・・
子供たちには、真実を見つめる心と、正しい動物との接し方を養って欲しい
切に願うのです。

次世代を担う子供たちに、少しでも理想的な社会を築いて欲しいのです。

ちなみに、私はノーリードですが、看板の啓蒙通り 
”つな・くさりをつけて”いますヨ! いつでも・・・

何!見えない??・・・
おかしいな〜、私の努力不足かな?
 ”信頼という絆” ですよ!!
(けっして屁理屈ではありません。大真面目です)

もちろん、見る側の意識と、知識レベルの問題もあるのは言うまでもありません。

<追 記>
「今回の看板1枚当たりの市税負担額は約¥1,500_
担当市職員の手作り設置にて、実質材料費のみ」 との事実確認しました。
(余計な市税負担を少なく対処した点は評価します!)

 

 事例6 >

6月21日(木)入梅したはずが、雨らしい雨が何日も降っていない。
このままでは、深刻な水不足が・・・
明日からは、少し天気が下り坂との予報?!

今日は仕事が早く切り上げられたので、明るいうちに帰宅し
いつもの公園へ急ぐ・・・
グラウンドは、少年達の野球チームがまだ熱戦中!
なじみの犬仲間5組程が、ふれあい広場に見えた。
グラウンドは占領されているし、例の新看板もあってかチョット控えめに
固まって団欒しているようす・・・
マリー・ノルテは見える範囲のところで放し、挨拶に駆け寄る。
チョット走れば、胃腸の調子が活発になるのか、
マリー・ノルテは間もなく各々”うん○”ポーズ・・・
さっさと始末し、皆の元に近寄ろうとしたとき、
ちょっと離れたところにいた、熟年男性R(いかにも仕事リタイヤした団塊世代)が叫んだ!
「犬を放すな!つなげ!!」
マリー・ノルテの行動は目立って、はっきりしていますから、
格好のターゲットとなった訳です。

私としては、投げかけられた事を無視するのは失礼ですから、
一応、ご挨拶に近づき、いつものように話しかけました。
「何かご迷惑をお掛けしましたでしょうか?」 
(明らかに迷惑をかけたなら、もちろん謝るつもりはあります)
それに対して、Rが言い返してきた言葉は、
「犬を放すな!(あくまでも、命令口調)、公園で放し飼いするな!!」
(奥様一団が、こじんまり固まっていたのも納得)

「私は放し飼いはしていません。リードを外して遊んでいるだけです。
放し飼いは、意味が違います。あなたも看板をよく読んでください!」
やはり心配していた、新看板のマイナス効果か?!
いかにも正論?を豪語しているRを煽ってしまっている・・・
でも実は人間R自身が今この時点で公園利用している人の中で
一番迷惑がられているのに気づいていない!!

「ご迷惑をお掛けしていませんよネ」と念をおしてから、
「ノーリードでも危害を人に与えたり致しませんから、ご安心下さい」
 (まともな人は見れば判る筈、実際多くの方に判ってもらえている)
そうしたら、
「他人が如何見るかは判らないだろう!」 と言ってきた。・・・正論である。
そんなこと言われなくても承知している。
また、Rは「相手が子供だったらどうする・・・」 と付け加えた。
今この場には、子供はいない。存在しない人間について議論をここでされても・・・
それに、子供が実際いた時は、状況を判断して特に気を使って私は行動しています!
(もし自分の犬が原因で、犬苦手な子供が発生してしまったら悔やみきれません)

多くの人が判っても、Rが実際判らなかったように(判ろうとしないように)
100%の人に判ってもらうのは土台無理・・・
いかに100%に近づけるかの努力が大切なのである。
だからこそ、信じてもらえるかは別として、飼い主自ら安全性をアピールするしかないのです。
R:「安全だと言う目印でもあるのか、盲導犬みたいな・・・」
以前、市の職員の方に「市のお墨付き案」を提案したら、実現困難との即返答された事を思い返した・・・
結局、判断能力の無い方とは、そう言う議論になってしまうのです。

そんなことより、私が目指しているもっと自然な 「共生・共存」 
”人間同士 (犬好き嫌い、主義・主張問わず) そして 人と犬 さらに犬同士”
が出来ないものかと投げかけたら、今度はR、とんでもない事を言い出した。

「兎に角、公園は人間のものなんだ!!」 と主張。
犬は、例え市に登録されていて、家族(市民)として暮らしていても、ダメみたいです。
さらにRは、「犬は法律上、物なんだ!!」 と言い放った。
たしかに、法律上、ペットが殺されたとしても、器物損壊罪です。
しかし、そんなことを言うRは、決して条例や、改正された動物保護法など、
きちんと読んだことはないのだろうと思う。
(改正された動物保護法は、「共生」 「動物の特質を生かした適切な飼育」をかかげている。
世の中の変化も感じ、行政も少しずつではあるが、理念にそうような配慮がされつつある)

しかしRのような考えの人間が世の中にいることも忘れてはならないし、
けっして無視する訳にはいかない。できればトラブルには巻き込まれたくない。
話の通じない人と、きちんと話すのは相当疲れるのは事実です。

結局最後はR:「明日、市に連絡するから!!」 と捨て台詞・・・

人それぞれ、主義・主張が各々なのは当然。
それが元で、大なり小なり世の中には、争いごとが存在する訳です。
人として、他人の話に耳をかたむけない、
納得しなくても、理解する努力もしない・・・そのような行動をする人間を
見る世の中の目が厳しく変わっていかなければ、
暮らしやすい社会への道のりはまだまだと実感する次第です。
帰結するところは、動物問題ではなく、全て人間の意識の問題ということです。

Rが立ち去ってその後は、さら犬仲間も増え
放す人は放す、放さない人は放さないで、いつものように和気藹々と、
人も犬同士もコミュニーケーション(社会性を持つ基本)を深めました。

昔より、弱者いじめ、幼児・動物虐待を耳にするのが増えた昨今こそ、今社会に必要なのは、
 共生・共存 (思いやり)であり、決して排除・分離 (
アニマル・ディバイド)ではありません。

ノーリードは公認(ドックラン)であれ、非公認(一般公園での擬似ドックラン)であれ、
社会性を身につけた犬が増えない限り、永遠に解決しない問題なのです。

犬よりも知識レベルが高い(と信じたい)人間皆が、その真理にはやく気づいて欲しいです。

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