犬の「放し飼い」法的規制が出来た背景。 

 世界的にみて「飼い犬」が自由に街中で過ごしている風景は、決して珍しいものではないと思う。

日本でも※忠犬ハチ公の時代(昭和初期)には、所謂「放し飼い」が一般的な常識であった。
自由な犬達は、人間社会の中で、それなりに適応行動していたし、
人間側も老若男女、「犬好き・嫌い」に関係なく共存できていた、のどかな時代だ。

状況が変わったのは、太平洋戦争(第二次世界大戦)の敗戦だ。
生死を乗り越えた人々に待っていた戦後直後の厳しい世の中では、
人間以外の生き物への意識は二の次だったに違いない。
そして何より、不衛生な状況下で恐ろしい伝染病が蔓延した。「狂犬病」だ!!
狂犬病が拡散し、感染して狂犬化した犬に人が噛まれて死傷する事件が発生
していたのは事実である。

そこで、1953年(昭和28年)に狂犬病予防法が制定された。
制定目的は言うまでもなく、「狂犬病」の拡散防止である。
その対策の一つとして具体化されたのが、
飼い犬の管理義務付け、即ち飼い犬の「放し飼い禁止」だ!!
飼い犬の放し飼いを禁止する事で、野良犬との区別を容易にし、
管理されていない野良犬の捕獲となったわけである。
ここで言う「野良犬」とは、危険な犬という意味ではなく、
あくまでも管理されず、狂犬病拡散要因の危険を含むと言う観点である。
ある意味、人間にとっても、犬にとっても危険回避という意味で必要であった
時代である事が理解できる。

さて時代は流れて現在はどうか・・・
「放し飼い禁止」のきっかけとなった「狂犬病」については、
衛生面の改善等の努力と島国(水際ブロック)で、日本での発生は1957年以降半世紀ありません。
人間で例えるなら「天然痘」のように絶滅したも同然です。
(種痘が不要になった事に反して、狂犬病予防注射を現在も義務付けし続けている件には
個人的に非常に疑問を残すところですが・・・・)

そして、「もはや戦後ではない」と言われ、高度経済成長を遂げ、
人間以外の生き物に目を向ける事に余裕が出来てきた時代
1973年に「動物の愛護及び管理に関する法律」が制定されました。

その中で、なぜか飼い犬の「放し飼い禁止」事項が残ってしまった。
狂犬病の拡散防止と言う当初の目的はクリアされていたにもかかわらず・・・
考えられる理由としては、大きく二つ、
野良犬と区別する為、そして戦前とは比較にならない交通事情によるもの。

ここで、大きな問題、誤解を招く意識が広まったと感じる事が発生した。
1)「放し飼い」=繋がっていない犬
2)繋がっていない犬=危険な犬のイメージ

一応記すが、正しくは
1)「放し飼い」は、私有地以外で管理者の目の届かない状態で犬が自由に行動可能な飼い方。
一般的な猫の飼い方。
※飼い主が引き綱を付けていない(ノーリード状態の)犬とを指すのではない。定義が違う。

2)繋がっていない犬=危険を含んでいるかもしれない犬。
当然以下のパターン(見解)もある。
繋がっていない犬=危険ではないので繋ぐ必要がない犬。
繋がっている犬=危険を含んでいるから繋がれている犬。

現在の法律では「放し飼い」は禁止行為ですが、
繋がっていない犬についての完全な規制はありません。

「動物の愛護及び管理に関する法律」は、その後
1999年(平成11年)12月に26年ぶりに改正され、さらに、2005年(平成15年)6月にも改正されている。
時代変化に伴い、法律は柔軟に改正されるべきものではあるが、
少しつづでも、「動物の愛護」基本精神に則り、理想的な犬先進国に近づければ、
素晴らしいと願う一人です。

※「忠犬ハチ公」1923-1935年とても賢く、力のある大型犬の秋田犬。
自宅と渋谷駅まで5分ほどの距離を毎日飼い主である東京帝国大学(現・東京大学)農学部の教授、
上野英三郎氏の送り迎えをしていた。
飼い主が職場で急逝したのを知ってか知らずか、その後10年ほども毎日、渋谷駅で飼い主の帰りを待つことになる。
そのエピソードは、人々の心を打ち、現在渋谷駅の待ち合わせシンボル「ハチ公銅像」となり、
また映画化された「ハチ公物語」1987年公開は、配収収益20億円を超えるヒット作となった。
2009年8月には、「ハチ公物語」 は、ハリウッド映画にリメークされ話題となっている。→ 「HACHI 約束の犬」