☆★☆ 横  軽 ( 碓氷峠 鉄道越え ) の想い出 ☆★☆


長野(上信越)新幹線が1997年開業した際、
在来線の信越本線(横川〜軽井沢)の営業が終了し
長年、日本の鉄道史(峠越え難所)として有名だった路線が廃線となった。
今では、新幹線で僅か10分程で通り過ぎてしまう区間(安中榛名〜軽井沢)は
以前様々なイベントがあって懐かしく想い出される・・・


 新幹線が開業する前までの信越本線は横川駅にて、
 上野方面からの下り列車の全てに、電気機関車EF63を2両最後尾に連結して、
 これから先の碓氷峠の急勾配を後押しする備えをしていた。
 一般鉄道とおなじレールの上をスリップ(車輪空転)せず粘着して
 走行させる線路で1963年(昭和38年)開通した新ルートだ。

 それまでは、アプト式と呼ばれる特殊なクラックレールに歯車をかませて進む
 特殊機関車で対応し、峠越えに約40分を要していた。
 それでも当時は日本初幹線電化された画期的な区間であったようだ。
 (横川駅付近に1911年火力発電所が出来たのをきっかけに・・・)
 碓氷峠の歴史の中、1885年開通初期時代は蒸気機関車・隧道番がいて、
 乗務員も乗客も碓氷峠は80分間煤煙地獄だったとの逸話・・・

 さすがに、アプト式以前の時代は知らないが、粘着式の近代峠越えは、
 そのルート開通と同じ年に生まれ、実際体験していた私としては、
 思い入れ深いものがあるのだ。


峠越えシェルパ(EF63重連)連結作業の為、
横川駅では通常駅の停車時間より長く4、5分間は待たされる。

乗客はその時間を利用して、日本3大駅弁で有名な
「おぎのや峠の釜飯」を買いにホームに降りたり、
最後尾で行われている連結作業を見物にしに行くのだ。

昔の国鉄電車は、窓が開けられたので、ボックス席から直接外の売り子さんを呼んで、
発車間際まで釜飯とお茶を慌ただしくし受渡していたものだ。
列車がホームを離れる際、大勢の売り子さん達が一斉に深々お辞儀をする光景も懐かしい。

自分は東京生まれ東京育ちでなもので、
物心ついた頃から信州の親戚の家に遊びに行くのが
唯一田舎というものの体験、想い出であり、
電車で行く場合、横川駅にて「連結」と「釜飯」が
ある意味、田舎に向かう通過儀礼のようなものであった感がある。

さて、列車は後押しの横軽シェルパ(EF63重連)と協調運転しながら横川駅を発車するのだが、
今までとは、乗り心地が明らかにかわり、ゴロゴロした感じで進む・・・
協調運転の際、電気機関車との連結部に負担がかからないように、
列車のクッションである空気バネの空気をあえて抜き去り走行するからだ。
ゴロゴロとした振動を受けながら、ゆっくりと、しかし着実に
レールと車輪を粘着して登り始める。
急勾配66.7‰(1km進む間に 66.7mの高低差がある)が11.2km 続く山岳難所区間
それが碓氷峠、通称「横軽」だ!!

碓氷峠「横軽」の線路は、上り列車と、下り列車とルートが異なる。
先行して1963年に開通した単線新線路と
旧路線(アプト路線)を一部再利用し1966年開通したルートであるためで、
当然、途中の景色も多少異なるものでそれもまた楽しい。
隧道や橋梁も別なので、形状や数も異なるのだ!
・・・行きは18、帰りは11(信濃路に向かいトンネルの数)

 

軽井沢駅に約17分かけて、峠(高低差552.5m)を登り切り到着すると、
役目を終えたシェルパは切離され去っていく・・・
列車は再び、自らの力のみで信濃路へ向けて軽井沢駅を発車する。

逆に上り列車(上野方面)は、軽井沢駅にて
全ての列車先頭にEF63を2台連結して牽引する。
この場合の「牽引する」は引っ張るという意味ではなく
下降急勾配を列車が加速暴走しないように先頭で「支え踏ん張る」目的で連結する。

EF63は碓氷峠越えに開発された専用電気機関車で、
強力な発電ブレーキ他様々な技術工夫を搭載し、安全性を追求されている。

急勾配下降を、モーターを唸らせ発電ブレーキを発動ながら・・・
シェルパが発電ブレーキ抵抗から発する熱で車体温度上昇し、湯気を上げている光景は、
まさに汗を流して踏ん張っている感しだ。
下降は慎重に過加速しないよう走行する為、約24分かけて横川駅に到着する。

小学校低学年ごろだったか・・・
田舎からの帰路、いつものように、軽井沢での連結作業を見物したあと、
引き続き列車の先頭でEF63の牽引を運転席越しに眺めていたら、
乗務員扉をあけて列車の運転手が話しかけてきた。
協調運転中の横川までは、特に何もする事無く列車運転手は暇のようだ。


 協調運転とは、牽引する2台の電気機関車と列車本来のモーター車両を
 両方(協調して)運転する事で、運転操作は電気機関車の運転手が総括して行う。
 協調運転可能になったのは、1968年以降で
 対応車輛形式(169489189系)が登場してからである。


列車運転手との会話のなかで、上りと下りのトンネルの数が幾つで違いがある事を
自分が知っていて答えたら、とても気に入られて、暫し運転台乗務員エリアに
入れてもらった貴重な体験をした。
今でも忘れられない思い出である。



最近、碓氷峠に限らず、昔のルート・廃線、国鉄時代の車輛資料、写真等
書籍が多く出版され、懐かしく眺められる機会が多くなってきた。

● ノスタルジック・トレイン Vol.3 「伝説の現場 プロフェッショナルが支えた碓氷峠」



自分の趣味でもある鉄道模型にて、「横軽の情景」 を再現してみたりもしている・・・

 こだわりポイント:
 ●重連シェルパと「白山」の連結・協調運転を、DCCの特徴・操作性を生かして再現!
    〜 EF63のテールライト片目点灯(入替表示)、DCC総括制御と協調運転操作の合わせ技 〜
 ●実際と同じ急勾配66.7‰(1m進む間に66.7mm高低差)の再現!
 ●横川ホームには名物 「おぎのや釜飯」 の売り子さん
 ●模型ではありますが、重連シェルパの唸るモーター音の収録・・・

     ☆★☆ お座敷レイアウトなので、背景等はご想像でお願いします・・・☆★☆

    動画はコチラ → 「ロクサン・シェルパの出動」  「重連シェルパと特急白山の碓氷峠登坂」


 「Ntetsu」 DCC運転において、総括制御と協調運転は区別しています。 

 総括制御 ・・・連結された複数のモーター車両(別アドレス設定)を含む編成を
         1台のコントローラで運転操作します。(一般的なDCC総括)

 協調運転 ・・・別アドレス設定された2編成(連結されているとは限りません)を
         2台のコントローラで運転操作します。(同時に2台操作するのにコツが必要)

今回の例は、重連総括制御されたEF-63×2台と「白山」489系(1モーター/12両編成)
を同時に2台のコントローラにて操作(協調運転)し、いかにも連結・シェルパ(後押し)・開放
をしているように演出しています。 ※一般的にDCC運転での開放操作が難し為の一工夫。



横軽廃線跡地には、現在 「碓氷峠鉄道文化むら」 があり、
碓氷峠の鉄道歴史と貴重な資料、実際の車両展示保存の他、
峠越えの運転シュミレータさらに講習を受けて試験に合格すれば、
本物のEF63を廃線区間の一部を使用して運転業務体験できる貴重な場所です。

是非訪れたい場所であり、機会があればEF63を実際運転してみたいものです。


「日本3大駅弁」とは・・・

● 峠の釜飯

● 富山のますの鮨

● 森のいかめし

最近はデパート等のイベントで、現地に行かなくても駅弁が味わえる機会があります!


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最終更新日 : 2012/11/07